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> KANSAIウオーク2020 京都エリア
KANSAIウオーク2020 京都エリア
情報提供:
産経新聞社
171分
12.0km
713kcal
今日 8/19(火)
27
℃
35
27
8/20(水)
35
27
8/21(木)
34
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8/22(金)
37
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8/23(土)
37
26
8/24(日)
37
27
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コース詳細
① 阪急大山崎駅
スタート
② 離宮八幡宮
離宮八幡宮は、貞観元年(859)に宇佐八幡宮から分霊が勧請された際、一旦当地に留まり、その後男山に奉安されて石清水八幡宮が成立したことから、石清水八幡宮と元社とされる。応神天皇、酒解大神、比売三神を祭神とする。石清水八幡宮に灯油を調進していた神人らが次第に商業活動をはじめ、朝廷や幕府から関料・津料免除の特権を認められ、諸国に荏胡麻油の独占的な販売圏を持つに至った。離宮八幡宮は荏胡麻油生産の会所、自治都市・大山崎の中心として繁栄した。
③ 国界碑
旧西国街道に建てられた石碑で、山城国(現在の京都府)と摂津国(現在の大阪府)の国境を示す。
④ 宗鑑井戸
山崎宗鑑は室町時代末期の連歌師で、俳諧撰集「犬筑波集」をまとめ、俳諧の祖と位置付けられる。もともとは室町幕府の9代将軍足利義尚に仕えた武士であったが、延徳元年(1489)に義尚が陣没すると、出家し、山崎の地を訪れ、隠棲した。「宗鑑井戸」は、山崎宗鑑旧居の井戸と伝えられる。
⑤ 妙喜庵
臨済宗東福寺派の寺院。山号は豊興山で、本尊は聖観音。三世功叔士紡は千利休と親交があり、利休はたびたび妙喜庵を訪れた。書院(国指定重要文化財)に接続して建つ茶室「待庵」は、利休の創案で建てられたもので、日本最古の茶室建造物とされ、国宝に指定されている。
⑥ 山崎宗鑑霊泉連歌講跡碑・句碑
山崎の地に隠棲した連歌師山崎宗鑑は、「霊(冷)泉庵」を結び、そこで連歌講を主催した。句碑には宗鑑の詠んだ「うずききて ねぶとに鳴や 郭公」の句が刻まれている。
⑦ 宝積寺
天王山南斜面の中腹にある真言宗智山派の寺院で、「宝寺」とも呼ばれる。本尊は十一面観音(国指定重要文化財)。奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられる。山崎合戦の折には羽柴秀吉が一時当寺を陣所とし、合戦後に築かれた山崎城は「宝(財)寺城」とも呼ばれたことから、当寺がその一部として利用されたと考えられる。美しい姿の三重塔は、山崎合戦に勝利した秀吉が一夜にして建立したとの伝説があり、「一夜の塔」と呼ばれる。
⑧ アサヒビール大山崎山荘美術館
関西の実業家・故加賀正太郎氏(1888~1954)が大正から昭和初期にかけ建設した「大山崎山荘」を創建当時の姿に修復し、安藤忠雄氏設計の新棟「地中の宝石箱」などを加え、平成8年(1996)4月に開館した。貴重な建築物や美しい庭園を後世に遺すとともに、美術館としての個性を生かした企画展示など、独自の文化発信を行っている。(有料)※開館時間午前10時~午後5時(入館は午後4時30分迄) 休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
⑨ 山崎院跡碑
山崎院とは、奈良時代に東大寺の建立に尽力した高僧・行基が建てた寺院。神亀2年(725)、行基は淀川に「山崎橋」を架けたが、この橋の維持管理と仏教の教えを広めるために、天平3年(731)に建立した。山崎の古寺を改修し道場としたと伝えられる。平成元年(1989)にこの地から円盤系の銅地銀が出土し、平成11年の壁画片約100点が見つかった。
⑩ 大山崎瓦窯跡
平安京造営に必要な瓦を生産した瓦窯の遺跡で、平安遷都を考える上で極めて貴重な遺跡として国指定の史跡となっている。展望広場から、京都盆地の南半部分が一望でき、当地で生産された瓦が平安京に運ばれる景観が想像できる。
⑪ 山崎聖天 観音寺
寺伝によると、観音寺は、平安時代の昌泰2年(899)に宇多法皇の御願寺として創建されと伝えられる。その後、衰退し、江戸時代初期に摂津箕面の勝尾寺で修行した木食以空によって再考されたという。天和2年(1682)に勝尾寺から大聖歓喜天(聖天)像を移して祀り、以後、「山崎の聖天さん」として、諸大名・大商人から庶民に至るまで幅広い信仰を集め、大いに賑った。 しかし、元治元年(1864)禁門の変の際、長州の部隊が山崎の地に陣取ったことにより、戦火に巻き込まれて焼失。事前に避難させていた本尊の十一面千手観世音菩薩像と歓喜天像は難を免れた。明治に入って西観音寺を移して本堂とし、聖天堂や鐘楼などが順次復興された。
⑫ 石敢当
石敢当(いしがんどう、いしがんとう、せきがんとう、せっかんとう、)はT字路の突き当りなどに置かれる魔除けの石碑で、中国・福建省発祥といわれ、わが国では沖縄県や鹿児島県に多数分布する。離宮八幡宮の神領であった大山崎では、集落の東と西に黒門を設け、夜には用心のため、門を閉じた。この石敢当のある場所は、東黒門の跡地で、ちょうど五位川が西国街道と交わるところに位置する。
⑬ 山崎古戦場碑
天正10年(1582)6月2日、本能寺の変が起こり、謀叛を起こした明智光秀に討たれ、織田信長は非業の死を遂げた。この時点で、羽柴秀吉は備中高松城を水攻めしている最中であったが、悲報を受けた秀吉はすぐに毛利方との講和をとりまとめ、上方に向かって急行し、同年6月13日に摂津国(現在の大阪府)と山城国(現在の京都府)の国境に位置する山崎の地において、羽柴秀吉の軍勢およそ4万と明智光秀の軍勢およそ1万6000が激突した。ちょうど石碑の辺りで両軍が激しく衝突したとみられるが、光秀軍は戦力に勝る秀吉軍に次第に押され、わずか3時間ほどで戦いは秀吉軍の大勝利に終わった。
⑭ 明智光秀本陣跡
山崎の合戦の際、明智光秀の本陣があったと考えられる場所。この辺りは境野一号墳があったところで、周辺に比べると標高がひときわ高く、視界が開け、光秀が指揮を執るのに最適な場所であったと考えられる。合戦は短時間で終わり、敗れた光秀は勝龍寺城へ逃げ込み、夜更けに城を出て近江・坂本城を目指したが、途中、山科の小栗栖で村人に竹槍で刺され、無念の最期を遂げた。
⑮ 恵解山古墳(いげのやまこふん)
古墳時代中期に築造された乙訓地域で最大に前方後円墳。桂川右岸の標高わずか16メートルの台地端につくられており、全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、高さ10.4メートル、前方部の幅約 78.6メートル、高さ約7.6メートルと推定される。周囲に幅約30メートルの周濠があり、周濠を含めた古墳の全長は約180メートルに及ぶ。死者を埋葬した施設については、墳丘上に古くから墓地があるため明らかではないが、後円部に竪穴式石室があったと考えられる。昭和55年(1980)の調査で、総数700点に及ぶ大量の鉄製武器を納めた副葬品埋納施設が見つかった。平成26年(2014)年秋、埴輪列や葺石などの復元整備工事が完了し、恵解山古墳公園として開園した。
⑯ 勝龍寺
大同元年(806)唐から帰朝直後の空海(弘法大師)が開基したといい、空海が唐で学んだ青龍寺を寺号としたと伝えられる。観音堂を初め九十九坊が建てられたという。応和2年(962)は大旱魃・大飢饉の年であったが、当時の住職千観上人の祈祷で雨が降り、龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名されたと伝える。本尊は鎌倉時代につくられた十一面観音で、国の重要文化財に指定されている。
⑰ 勝龍寺城跡
暦応2年(1339)に細川頼春が築城したとされるが、確証はなく、史料的初見は康正3年(1457)である。応仁の乱では西岡地方における西軍の拠点となり、ついでこの地方における細川氏の拠点となったが、細川氏の凋落とともに、松永久秀や三好三人衆の勢力下に置かれた。西岡一帯が織田信長の支配に帰すると、信長から細川藤孝に与えられ、元亀2年(1571)、織田信長の命を受けた細川藤孝が、石垣や瓦葺建物、天主をともなう、当時最先端の城郭に大きく造り替えた。天正6年(1578)信長の意向による藤孝の嫡子忠興と明智光秀の娘玉(ガラシャ)の婚礼がこの城で執り行われ、二人は幸せな新婚生活を送った。平成4年(1992)、勝龍寺城の跡地を「勝竜寺公園」として整備し、管理棟には資料展示室が設けられ、当時の面影を残した美しい庭園は憩いの場となっている。公園内には、細川忠興・玉(ガラシャ)の仲睦まじい姿が銅像で建立され、毎年11月第2日曜日に「長岡京ガラシャ祭」が盛大に催される。2020年度は開催中止。
⑱ 勝龍寺城土塁跡・神足神社
勝龍寺城土塁跡:元亀2年(1571)の細川藤孝の改修によって勝龍寺城は、小畑川・犬川に挟まれた、神足・勝竜寺の集落を含む、いわゆる惣構を持つ城郭となった。発掘調査により、堀の底から土塁の頂部までの高さが6mを超える大規模な土塁・空堀跡が確認された。現在は復元された土塁・空堀跡を見学することができる。神足神社:桓武天皇が、夢の中で、南から来る悪霊を、田村(旧神足)に降りたった神が、追い払ったのを見て、その地に社殿を建てさせたと伝えられる。平安時代の『延喜式』に「乙訓郡十九座」の一つとして記される。中世には国人神足氏や神足村の産土神として信仰された。神の足と書く社名から、サッカー等のスポーツ選手も参拝に訪れる。
⑲ 長岡天満宮
祭神は学問の神様として有名な菅原道真。道真が大宰府に左遷される途中、かつて在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り、都を振り返って名残りを惜しんだ事から 「見返り天神」とも呼ばれる。大宰府にお供した3人が、道真の没後、道真自作の木像を持ち帰り、ご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりといわれる。11月下旬の紅葉、4月末の霧島ツツジが見どころを迎える。※水上橋は午後5時で入口を閉門
⑳ JR長岡京駅
ゴール
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