【東海道五十三次 往路5】保土ヶ谷宿-戸塚宿を歩こう!
- 徳川家康が関ヶ原の戦いで天下を治めた翌年である1601年に東海道を宿場に指定し、旅客や物資の運搬を担当させました。宿場では馬、そして人々の足によって輸送が行われていました。東海道五十三次のはじまりの地である日本橋をスタートし、京都市東山区の三条大橋までの約500km先のゴールを目指します。旅人たちは旅先でその地域の名物である食事を楽しんだり、お土産を購入したり、寄り道をしたりhellip;今も昔も旅を楽しむ人々の心が刻まれているのが東海道五十三次です。保土ヶ谷宿は日本橋から数えて4番目の宿場で、武蔵国と相模国の国境にあります。脇本陣跡や旅籠屋跡などが点在します。江戸時代、このコースの難所は権太坂で、難所を越えると遠くに富士山を見ることができたようです。今回は保土ヶ谷宿から戸塚宿間を歩きます。TOP写真提供:cyberwonk
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情報提供:NAVITIME
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コース詳細
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- ① 保土ヶ谷宿
- このコースのスタート地点になります。道の起伏の激しさや現存する畑もあり、のどかな雰囲気を感じながら歩く事ができます。
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- ② 権太坂
- 坂の地名を聞かれた老人が自分の名前を聞かれたと勘違いし、「権太」と回答してそのまま地名になっというおもしろい言い伝えがあります。写真提供:flickr/cyberwonk
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- ③ 投げ込み塚
- 昭和30年に発見された、多くの人や牛馬の遺骨を供養した碑。写真提供:flickr/cyberwonk
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- ④ 境木地蔵尊
- 武蔵と相模の国の境目にあります。江戸時代、旅の途中で強盗の被害に遭う者もいたため、こちらの地蔵は泥棒よけとして多くの人々に重宝されていました。写真提供:Wikimedia Commons/Takkitakitaki
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- ⑤ 萩原代官屋敷跡
- 萩原家は代々旗本である杉浦氏の代官になり、この地に屋敷を建築し、幕末になる頃には道場を開きました。道場には近藤勇も訪れていたこともあり、剣客名にその名が記されています。写真提供:flickr/cyberwonk
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- ⑥ 焼餅坂
- かつての平戸村と品濃村の境目にあった坂。坂の近くにある茶屋で焼餅が販売されていたことから、焼餅坂と呼ばれています。別名:牡丹餅坂ともいわれ、浮世絵にこちらの坂や焼餅の絵が出現します。写真提供:flickr/cyberwonk&鈴木 宏一
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- ⑦ 品濃一里塚
- 県内で唯一、完璧に現存する一里塚。現在こちらの近辺は公園として人々に親しまれています。写真提供:Wikimedia Commons/Takkitakitaki
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- ⑧ 益田家のモチノキ
- 天然記念物に指定された樹齢300年を超えた19mと18mの株(モチノキ)が1本ずつあります。今も昔もこの地の歴史を見守っています。写真提供:flickr/cyberwonk
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- ⑨ 不動坂
- 旧東海道と国道が分岐する地点。写真提供:Wikimedia Commons/臼井秀三郎
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- ⑩ 鎌倉ハム発祥の地
- 明治10年前後にイギリス人・カーチスが柏尾町に外国人用の宿泊ホテルを建築し、宿泊客にハムをふるまったのが始まりとされています。その後明治20年前後に、地元になじみのある齋藤満平らがカーチスからハムの製法を学び、ハムの製造が始まりました。写真提供:flickr/cyberwonk
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- ⑪ 斎藤牛肉店
- お肉の専門店。コロッケの販売もされています。営業時間9:00-18:30定休日 日曜日写真提供:flickr/cyberwonk
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- ⑫ 宝蔵院
- 「みんなの寺」「感動のある寺」「伝説になる寺」をコンセプトにしたニュータイプの寺院。写経教室や書道教室などの文化教室もあります。境内の散策ができます。写真提供:flickr/cyberwonk
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- ⑬ 妙秀寺
- 日蓮宗の寺院。1356年に創建されたとされています。写真提供:flickr/cyberwonk
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- ⑭ 吉田大橋
- 広重の浮世絵にも描かれた戸塚宿をイメージするのにふさわしい場所。現在の橋は昭和61(1986)年に新しくなりました。写真提供:flickr/cyberwonk
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- ⑮ 戸塚宿
- このコースのゴール。【東海道五十三次 往路6】戸塚宿-藤沢宿を歩こう!のスタート地点になります。写真提供:flickr/Dick Thomas Johnson
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