【東海道五十三次 往路2】品川宿-川崎宿を歩こう!
- 徳川家康が関ヶ原の戦いで天下を治めた翌年である1601年に東海道を宿場に指定し、旅客や物資の運搬を担当させました。宿場では馬、そして人々の足によって輸送が行われていました。東海道五十三次のはじまりの地である日本橋をスタートし、京都市東山区の三条大橋までの約500km先のゴールを目指します。東海道は日本橋から始まりますが、多くの旅人たちにとって本当の出発点は品川でした。今回は旅人たちの原点である品川宿から川崎宿間を歩きます。TOP写真提供:flickr/YUMIKO_okp
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情報提供:NAVITIME
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今日 8/17(月)
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8/18(火)
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8/19(水)
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8/20(木)
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コース詳細
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- ① 品川宿
- 江戸時代の旅人たちの原点からスタートします。
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- ② 品川神社
- 東海道北品川宿の鎮守神とされている「品川神社」。板垣退助のお墓があります。
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- ③ 北品川商店街
- 商店街内に地域民の交流や情報発信の場を目的とした「品川宿交流館」があり、1Fには駄菓子屋「またあした」があります。毎年6月上旬に品川神社例大祭(北の天王祭)があります。
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- ④ 荏原神社
- 「南の天王」と呼ばれています。東海七福神の1社とされており、恵比寿様が祀られています。
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- ⑤ 品川橋
- 北品川宿と南品川宿の境目に架かる橋。橋の下には目黒川が流れており、江戸時代には境橋と呼ばれ、旅人でごった返している場所でした。
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- ⑥ 海雲寺
- 曹洞宗の寺院で、防火の神様「千躰荒神」が祀られています。祈願千躰荒神の大祭が年2回あり、家内安全・火災消除・商売繁盛を祈願するとご利益があるとされ、毎年多くの参拝者が訪れます。
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- ⑦ しながわ花海道
- 菜の花とコスモスの植え込みがあり、季節ごとに花街道を楽しめます。散歩コースにもぴったりの景観です。
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- ⑧ 勝島運河
- 遊歩道があり、鳥たちの憩いの場にもなっています。かつては江戸湾でした。
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- ⑨ 坂本竜馬像
- 北浜川児童遊園の敷地内にある坂本竜馬像。
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- ⑩ 浜川砲台跡
- 幕末にペリーの艦隊が浦賀へ来航します。坂本龍馬は立会川の土佐藩御抱屋敷で待機しながら警備をしていました。写真提供:flickr/mittyoi
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- ⑪ 品川歴史館
- 1985年に開館した郷土資料が保存されている歴史館。日本考古学発祥の地とされる大森貝塚や東海道第一の宿場として繁栄した品川宿などが常設展示されています。入館料/営業時間については公式ホームページ等をご確認ください。※ 令和6年4月下旬まで大規模改修工事のため休館しています。詳しくは公式ホームページなどをご確認ください。
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- ⑫ 鈴ヶ森刑場跡
- 1682年12月28日に江戸に大火災が起き、八百屋お七の一家の家が焼けてしまいます。寺で避難生活を送るお七は、寺の小姓・吉三郎に恋をし、やがて二人は逢瀬を重ねます。もともと成就できるような間柄でない二人は、お七の家が建て直されると会うことはなくなりました。新しい生活を送るようになったお七は、吉三郎への想いが募り、また火事になれば吉三郎の元へ行けると考えてしまい、自分の家へ火を付けてしまいます。火事はボヤで終わり、お七は付け火の罪で奉行所へ連行されます。お七を担当した奉行が16歳で若いお七を助けたいと思い、「まだ十五であったな?」と聞きます。けれどもお七は「いいえ、私は十六です」と毅然と答えてしまい、立場上隠ぺいができない奉行はやむを得ず火付けの罪で裁きました。この時代は、付け火は重罪で極刑は火刑でした。この地でお七は火刑となりました。お七の没後、吉三郎は深く悲しんでお七の魂を追悼するために出家し、諸国をめぐる旅をします。吉三郎が最期に訪れたのが島田宿。島田宿の関川庵に吉三郎の墓と碑が残されています。
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- ⑬ 東海道かわさき宿交流館
- 東海道川崎宿について、歴史や文化の展示を見て学ぶことができます。
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